盲亀浮木

昨年の業厄払い護摩祈願の御不動様の御分身の木札が願主方より、お手紙、お志と共に「ありがとうございます」の言葉が添えられお寺に戻ってきています。
確かに承り、御加護御礼の上、時を見ておたきあげさせていただきます。

ところで、ありがとうの語源は仏教に由来するとされています。
それが涅槃経・雑阿含経などにある「盲亀浮木のたとえ」

これはお釈迦様がお弟子さんの阿難尊者に人として生まれたことをいかに思うかを尋ね、その有難さをたとえられました。

それは、大海原の海底深くに100年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀がいる、一方、海面に漂う一本の丸太棒。その亀がちょうど海面に首を出した時、流れ漂っている浮木の一つしかない穴に首がはいるという事があるだろうかと尋ねられました。

阿難尊者は「ないといってもよいくらいの難しい事」と答えたことに対し、お釈迦様は「絶対にないといいきれるか、私達が人として生まれることは、この亀が丸太棒の穴に首を入れる事がある、そのことよりも難しい事、有り難い事だ」と答えられた寓話に由来するそうです。
命の大切さ、そして多くの御縁があって生き生かされていることを知る。
「ありがとう」には深い意味があります。

春の足音が近づいているこの頃ですが、空気の乾燥、寒暖差に充分にご留意下さいませ。

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